引っ越し
引っ越ししてそろそろ1ヶ月が経とうとしている。
特に物理的な事で引っ越す理由はないけど心機一転したくて年明け前には環境を変えたかった。
結果、QOL上がりまくりで最高。
ここ最近は、気分が良いので近所にあるコメダに朝早く行ったり晩御飯を食べてから夜カフェもしている。
近所にスタバ併設のTSUTAYAもあるのはすごく嬉しい。休みの日はそこで2時間くらい本読んで過ごしてる。毎日有意義だ
何で気分が良くなったというと、3月末にやっと退職が決まったから。去年辞めさせてもらえず、リーダー+しまいには相談なしで今年新人指導を付けられたもんだからもうヘトヘトだった。
この一線越えたらメンタルやばいんだろうな〜。と他人事のように考えてた。
何とか回避できたのは、家で文句も何ひとつ言わず休ませてくれたからだと思う。
心が疲れるって全ての物事に対して無気力になるんだなって怖いなって感じた。
東京で同棲してた時は、稜太の方がまじで忙しくて夜中も緊急コール鳴りまくりで外出してもすぐに病院に呼ばれて大変そうだったのに「何処にも行けない!」って文句ばっかり言って申し訳なかったな。
振り返ると人の気持ちを考えずに、器の小さい人間だなとつくづく思う。
辞める事が決まってからすこぶる元気が良い。
辞めさせてもらうまでに時間がかかったけど、辛い思いをしてる人がいたら我慢しなくて無理しなくていいんだよって伝えてあげたいな。
来年度から楽しみだ
ワンダー君は太陽
「ワンダー君は太陽」ってタイトルのずっと観たかった映画を観た。生まれつき遺伝子疾患を持ったオギーっていう主人公の男の子と周囲の友達、家族を描いた内容。
自分の家族と重なるところも所々あって、それぞれの背景からストーリーが観れてめちゃくちゃに感動した。
家族に会いたくなったな。という事で、妹について綴ってみることにした。
5歳離れた妹で、頭蓋骨縫合治癒症という病名で脳実質が何らかの原因で自分の骨に圧迫されて発達が遅れてしまうという手術が必要な疾患だった。2歳くらいの妹が夜にいきなり悲鳴みたいに泣き叫んで不安に感じた事を覚えている。いくつかの病院を紹介されて、3歳の時に小児の有名な先生が手術をしてくれる事になった。
私が小2の時で、妹が那覇の病院に3ヶ月程入院する事になったので両親が仕事しながら交互に病院に泊まることになった。その間、両親は宜野湾の祖母の家に泊まっていた。
私は学校があったので友達の家に3ヶ月預かってもらい、今考えると本当にありがたくて一生この恩は忘れない。弟は保育園に通っててすくたのいとこの家に預けられていた。私はまあまあ大きくなってたから家族と離れるのはへっちゃらだったけど、弟は寂しかっただろうな。あの3ヶ月は家族全員が離れ離れに暮らしてた。今考えると貴重な経験。
ちなみに1番下の弟はまだお腹の中。
あの期間の事は今でも鮮明に覚えてる。
妹が手術の前日に面会に行った。次の日に学校のマラソン大会だったので、カセットテープに絶対1位なるからね手術頑張ってね。って応援メッセージを録音してカセットテープを渡して、お父さんが妹に聞かせてくれてた。1位になったら手術は絶対成功する!って祈りながら走ったのを覚えてる。
手術が終わった週末にかやに会いに病院に行った。手術のむくみで顔がパンパンに腫れあがって痛々しかったのが忘れられない。でも会った時に、笑ってくれた妹は本当に強いと思う。
手術が成功して、退院した時は本当に嬉しかった。徐々に髪の毛も生えてきて頭の傷口が見えなくなってヘルメットが外せるようになって、元気になってく妹をみてると嬉しくなった。
同い年の子と比べて、発達は遅れているけれど優れてる所が沢山あって妹から教えてもらう事は山程ある。私が家でケンカして部屋に閉じこもってたら、心配していつも大丈夫?泣かないでって声をかけてくれた。人の気持ちに寄り添ってくれる優しさがあって、妹みたいに心から優しい人になれたらなって思う。
小4の時に、上の学年のお姉さんが妹の事を悪く言ってることを聞いてしまったことがあった。
その時に言い返したけど、自分の大切な人を悪く言われた事が悲しくて悲しくてめちゃくちゃ傷ついた。1番傷ついた出来事だった。家に帰って、涙が止まらなくて詳しくは言わなかったけどお母さんが察してくれた。辛い思いさせたけどそんな言葉は気にしなくていいって言ってくれた。だから映画の中のヴィア(姉)の気持ちはすごくよくわかる。私や弟の周囲の人はいつも妹とフラットに接してくれることが嬉しい。
映画でもオギーは太陽って言われてたけど、妹も間違いなく玉城家の太陽。玉城家に生まれてきてくれて妹になってくれてありがとう。
文章もバラバラで長々しくなったけど、妹が生まれてから心の中に思ってた事を言語化できてよかった。
明けた〜!
2021年に突入〜!
怒涛の2020年、覚えておきたくて10年ぶり?くらいの日記を書いてみる
2019/7/18、約9年住んだ東京(その内3年間は横浜)を離れて福岡生活がスタート
もう住んで1年とちょっと経過した、住みやすさは聞いてた通り最高...!コンパクトシティで、すぐに博多や天神に行けるし疲労を感じたら車ですぐに温泉にも行ける、海山川もあって自然が感じられる。社会人になってからは海見たいな、温泉入ってぼーっとしたいなと思う日が学生の時よりも多くなったから都会と自然が隣り合わせの福岡は本当に住みやすい。
何もよりも、ご飯の美味しさに感動する。玄界灘や有明海の魚介類は新鮮でめちゃくちゃ美味しいし九州特有の甘口醤油も口に合う。ふらっと入った個人経営のお店も殆どが美味しい。
沢山行きたい所もあったんだけど福岡に来て働き初めて自分の気持ちがそれどころじゃなくなってしまった。
まだこれっぽっちの人生だけど、その中でもけっこうなキツさだった。その分、今までになく自分を見つめ直して思考が深くなったような気?がする?
自分は強い人間だってどっかで思ってたけど、全然そんな事なかった。
職場から出たら張り詰めてたものが緩んで、電車では涙を堪えるのに必死だったし、家では千と千尋の神隠しのちひろがおにぎりを食べるシーンの時みたいにワンワン泣いた。
これが2ヶ月近く続いたら、隣に居る人はさすがに嫌になるよな〜と振り返っても思う。
あった当初から同い年なんだけど人生何回目?というくらいに何故か達観してるので、占いの時に聞いたらやっぱり人生何回かしてるおじいちゃんみたいな人らしい。
博多で盲目の棒を持ってる人が道を間違えて車道に出て轢かれそうなってた時も、品川でおばあちゃんが荷物もって階段を登ってた時も見て見ぬふりをしてる人が通り過ぎてく中、ためらいもなく声掛けるところが本当に人として尊敬している。中々出来そうで、できない。一緒に居た自分も盲目の人が歩道に出た時は「どうしよう、轢かれる、、」って思ったもののとっさに動けなかった。
普段はお店で店員さんを呼ぶのもためらうくらいな気弱のくせにな。
とりあえず沢山助けられた年だった。今年は尊敬する煉獄さんが言ってた心を燃やせ!という言葉を胸に過ごして生きたい。